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テックワークス社員を紹介!代表取締役 鈴木 卓真さんってどんな人?(前編)

テックワークス代表取締役にして創業者である鈴木さん。満を持しての登場です!まずは鈴木さんの少年時代からのエピソードを通じて、テックワークスの幅広い事業の背景にある原点を掘り下げます。

自然の中で育ったサッカー少年

――まず最初に、札幌市で生まれ育ったということで、幼少期はどんな少年でしたか?

鈴木:僕はずっと札幌市西区で育ちました。当時はそのまま「たくま」と呼ばれていました。一部で「たくちゃん」もあったかな。大人になってからは「たくまさん」と呼ばれますが、なんだか違和感があります(笑)。

周りには自然がいっぱいで、家の横の道路がまだ砂利道だった頃もあります。ドラえもんに出てくるような土管がある公園や空き地で遊ぶことが多かったですね。裏山でそり遊びをしたり、外遊びが大好きな子供でした。

――小学校ではどんな生活を送っていましたか?

鈴木:小学校では完全にサッカー少年でしたね。毎朝早起きして校庭で友達とサッカーをしていました。キャプテン翼の影響もあって夢中になっていましたね。あと、いとこの兄ちゃんがジオラマ作りが得意だったので、その影響で冬休みの自由研究ではガンダムのジオラマを作ったりしていました。有名なラストシーンを再現した力作でした。

パソコンと出会い、プログラミングに熱中!

――中学時代にはパソコンを手に入れたそうですが、どのような経緯ですか?

鈴木:中学時代に父親を説得してパソコンを買ってもらったのが、僕の人生の大きな転機でしたね。父は建設業をしていて、書類整理や業務効率化にパソコンが役立つと説明しました。でも、本音はゲームを作りたかったんです。それだけでは買ってもらえないだろうと思って、「これからの時代には必要だ」と必死に力説しました。結局、PC-8801を買ってもらったんですが、最初にできたのは年賀状作成くらい(笑)。それでも、親は喜んでくれていたと思います。

最初のきっかけは、友達の家で見たマイコンの飛行機ゲームです。「ゲームって作れるものなんだ!」と知ったことが衝撃でした。それまでゲームは遠い世界のものだと思っていたので、友達のお父さんが作っていると知った時、「自分もやってみたい!」と強く思いました。そこから友達の家に入り浸り、パソコンへの興味がどんどん膨らんでいきました。

――その後、プログラムにも挑戦したんですか?

鈴木:パソコンを手に入れてからは、「マイコンBASICマガジン」という雑誌に載っているプログラムをひたすら打ち込む日々でした。でも、最初は全然動かなかったんですよ。コードをそのまま写しているのにエラーばかりで、「何が悪いんだ?」と腐る時期もありました。それでも諦めずに続けていると、少しずつ動くようになりました。

特に感動したのは、何百行かのコードでゴルフゲームが動いた時ですね。「こんな簡単なコードでこんな面白いものができるんだ」と驚きました。それからは改造にも挑戦するようになり、変数を変えてボールの動きを調整したり、新しい機能を追加したりする楽しさを覚えました。気づけば、自分でゼロからプログラムを書けるようになっていましたね。

――高校では何か部活動をしていたのですか?

鈴木:高校ではサッカー部に入ったんですけど、レベルが高すぎて「自分には無理だ」と感じて辞めました。その頃にはすでにプログラミングが好きだったので、部活よりもそっちに時間を割きたいという気持ちもありましたね。高校1年生くらいには、自分で音楽を鳴らすプログラムや簡単なゲームを作れるようになっていました。

その後、新しい機種「FM TOWNS」を手に入れたことでさらに可能性が広がりました。このパソコンはCD-ROMやゲームパッドが標準装備されていて、「これならもっと面白いことができる」と思いました。当時はパソコン通信にも挑戦していて、夜な夜なフォーラムでニュース記事を読んだり、人々の意見を見たりするのが楽しかったですね。

高校2年生の時には、自分で作ったソフトを「FM-TOWNS フリーソフトウェアコレクション」に応募しました。掲載されるとCD-ROMが送られてくる仕組みだったんですが、自分の作品が収録された時は本当に嬉しかったですね。その後、旺文社が主催する高校生向けコンテストにも参加して審査員特別賞を取ることができました。地理情報を扱う内容だったんですが、「自分でもこんなことができるんだ」と自信につながりました。

研究活動で芽生えた学問への興味

――大学も、プログラミングなど学びたいことを目指して選択をしたのですか?

鈴木:私はあまり模範的な高校生ではなかったので、大学も家から近くて楽してプログラミングも学べそうという基準で選びました。両親からも、勉強しなさいとはほとんど言われなかったですね。自分もそれまで勉強することには全く意味を見出せなかったんですよね。ただ、大学3年生のゼミ配属で先生と出会ったことで、初めて大学の面白さに気づきました。

――そのゼミでどんなことに興味を持ったのでしょう?

鈴木:ゼミの先生がコンピューターシミュレーションをやっていて、それがすごく斬新だったんですよ。他の先生はそんなことやっていなかったので、「こんな面白いことがあるんだ」と衝撃を受けました。当時、物理運動法則を取り入れたゲームとかも作っていたので、「これなら自分にもできるかもしれない」と直感的に感じましたね。シミュレーションって未来を予測する学問だと聞いて、すごくワクワクしました。

それで一念発起して大学院進学を目指すようになりました。周りからは「いつもサボってばっかりだった鈴木が何やってるんだ」と思われたかもしれません(笑)。でも、その先生との出会いがなければ、大学院進学なんて考えもしなかったと思います。学部時代はほとんど腐っていて授業もサボりがちだったんですが、研究活動に触れることで初めて大学の面白さを知ったんです。3年生後半から4年生にかけて、それまでとは全く違う学生生活になりました。

――大学院時代にはどんな研究をされていましたか?

鈴木:僕はコンピューターシミュレーションをやっていました。物理運動の法則を使ったシミュレーションとか、並列計算の効率化みたいなことですね。普通だとコンピューターの台数が増えると計算効率が悪くなるんですけど、それを解決する手法を研究していました。他大学のコンピュータールームを借りて計算したりして、結構アクティブに動いていましたね。

――研究だけでなく、産学官連携プロジェクトにも関わっていたとか?

鈴木:はい。例えばウェブ上でユーザーの行動を分析するシステムを作ったり、海上に浮かぶブイの位置をGPSで管理するプロジェクトなどもやりました。特にウェブ行動分析は面白かったですね。マウスの動きからユーザーの感情を推測するというものでした。でも当時は時代が早すぎて、セキュリティ面で懸念されたりして広がりませんでしたね。

札幌市生まれの鈴木さんは、幼少期から自然に囲まれた環境で育ち、やがてプログラミングに情熱を注ぐようになりました。中学校で衝撃を受けた「なんでも自分で作る」楽しさ、大学のゼミで出会った「新しいものを作る」ワクワクが、今のテックワークスの根底にも流れているように思います。では、具体的にどのような経緯で起業して今につながっているのか。後編に続きます。