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テックワークス社員を紹介!鈴木 衣里さんってどんな人? 

設立から20年以上、株式会社テックワークスの屋台骨を支える鈴木衣里さん。代表取締役・鈴木卓真さんの妻として、創業時から経理・事務全般を担当。穏やかな語り口の中に、変化を恐れず、ご縁を大切にする生き方が見えてきました。 

追分町の漫画好き少女 

――まずは、ご出身や生い立ちについて教えていただけますか? 

衣里:出身は安平町(旧追分町)で、中学2年までいました。田舎で自然しかなく、冬は空き家の屋根から雪に飛び降りたり。小学校では友達に誘われて、バドミントンも少し。でも寒いのは苦手なので、インドア派でした。漫画が好きで。雑誌のリボンとかの懸賞に応募したりしていました。あと、その漫画の感想とかイラストを描いて、それが掲載されたりとか。

小学校の頃は『星の瞳のシルエット』が一番好きでしたね。中学高校の恋愛漫画なんですけど、いじらしい感じ、なかなか発展しない感じに、毎週ドキドキしながら読んでました。雑誌の発売日に買いに行って、翌日の学校で話題にしてましたね。

――楽しそうですね!ニックネームなどはありましたか?

衣里:ほとんどないですね。「えりちゃん」とか。あ、大学の時に同級生の男子から「すぎちょび」って呼ばれてた時期がありました。旧姓の名字からだと思うんですけど、「ちょび」の由来はよくわかりません(笑)。

かるたとマネージャーとカラオケな中学・高校時代

――中学校ではどんなことをしていましたか? 

衣里:追分の中学校では、本当は陸上部が良かったけど親に反対され、必修だったので消去法で合唱部へ。でも何を歌ったか全然覚えてないぐらい興味がなくて(笑)。それより、かるた(百人一首)の方が熱中しました。大会に出たり、強い大人と対戦するのが楽しかったです。 

中学2年の途中で父の仕事で札幌の手稲へ引っ越したのですが、人が多くてびっくりしました。クラスのみんなが良い人たちで助かりましたね。部活には入らず、かるたを少し続けたぐらい。この頃は漫画より小説を読むことが多くて、藤本ひとみさんのミステリーとか、兄の本棚にあった三毛猫ホームズシリーズとか読んでました。 

――高校はどうでしたか?

高校も手稲で、先生に勧められるがままに進学。ここでも流れで、陸上部のマネージャーになりました。本当はサッカー部のマネージャーが良かったけど人気で諦めて、友達に誘われたのが陸上部だったんです。なんか昔の漫画を見て、マネージャーってなんか良さそうだなっていう。青春感ありますよね。

――実際に陸上部のマネージャーをやってみて、いかがでしたか?

衣里:あんまり青春っていう感じでもなかったかな。漫画みたいなキラキラした世界はなかったです。タオル渡すとかしたことないです(笑)。陸上部なのでグラウンド整備から入るんですよね。スパイク履くから穴が開くじゃないですか。トンボでグラウンドをならすのがメインみたいな感じでした。あとはタイム測ったりとか、地道な作業ばかりでした。でも友達もいたし、3年間続けました。部活以外だと、友達とカラオケに行くのが楽しみでしたね。歌うのが純粋に好きで、週2、3回行ってました。

流れにのって大学、就職、結婚

――大学や学部はどのように決められたんですか?

衣里:将来の夢とかは特になく、高校が理系クラスだったので、そのまま流れで北海道科学大学の経営工学部に進みました。ここでもまた、学校の駐輪場でたまたま勧誘されて陸上部のマネージャーに(笑)。高校の時とは違って、先輩との繋がりや授業の情報が目的でした。練習に行っても見てるだけで、ほとんど何もしてない名前だけのマネージャーでしたね。ゼミも、陸上部の顧問だった先生のところに、これまた流れで入りました。夫(鈴木さん)とは同じ学部・ゼミでしたが、当時は彼が大学院生で、担当も違ったのでほとんど話したことはなかったです。

――鈴木さんとはその後、どういった経緯でごお付き合いされたんですか?

衣里:学生時代からゼミの先生の紹介で自動車リース会社でアルバイトしていたのですが、そのままの流れでそこに就職しました。その会社のホームページを作ろうみたいな話になって担当することになったんですけど、「そんな急にできません!」ってなって。大学の先生のところに勉強しに行こう、と。それでまた大学に通うようになったんです。その時に、まだ大学院生だった夫と再会して、他の院生も交えて遊んだりするうちに付き合うようになりました。

テックワークスの紆余曲折を、そっと見守る

――鈴木さんがテックワークスを立ち上げられたのは、ご結婚の前ですよね。起業されると聞いた時はどう思われましたか?

衣里:別に、「就職しないまま起業するんだな」っていう感じで。周りにそういう人はいなかったですけど、特に「大丈夫?」とか「就職した方がいいんじゃない?」みたいなことは全くなかったです。進路相談とかもなかったですね。「起業するよ」「うん、そうなんだ」っていう感じで。

――起業されてから、共同経営者の方がいなくなったりと、ご苦労もあったかと思いますが、そばで見ていていかがでしたか?

衣里:大変そうだなとは思ってました。最初1人でやるのかなと思ってたら気づいたら2人になってて、でも気づいたら辞めてて。でも私、それほど突っ込むタイプでもないので、それでどうのこうのと言ったことはないかもしれないです。2人の共同経営って難しいじゃないですか。だから、逆に1人になってよかったんじゃないかなって思ってたぐらいです。でも、それも多分言ってないと思います。

――会社のお手伝いをされるようになったのは?

衣里:結婚後です。家にいるから、なんとなく手伝うみたいな感じですよ、最初は。とりあえずレシートがあるので、それを入力するぐらいしかやってなかったですけど。私も多分、のほほんとしてるので、そんな苦労した感じはないような気がします。いや、ありましたよ、もちろん結構厳しい時も。経理だからわかるじゃないですか。でも、それについて「ほんと大丈夫?」って問い詰めることは別にしないです。多分、本人が一番わかってると思うので。だから私は別に何も言わなくて。ダメだったらその時は私も働けばいいし、みたいな感じで。結構楽観的なんです。

――それは鈴木さんにとって心強かったでしょうね。お子さんとの関わりはどうでしたか?

衣里:夫はすごく面倒見てくれるので助かります。「会社のことばっかり」みたいな不満もないです。最近はもうみんな大きくなって、仕事優先で全然いいと思うんですけど、小さい頃もちゃんと休みの日に遊びに連れていったりとか、そういうのもしてくれていました。

――衣里さんから見た、テックワークスの魅力はどんなところにありますか?

衣里:比較的、アットホームな感じだと思います。この間もみんなで山盛りの唐揚げ食べに行ったりとか(※西区にある山盛りのから揚げが名物の中華料理店)。私もそんなにたくさん働いてきたわけじゃないですけど、最初に入った会社は和やかな感じではなかったので。どちらにも良さはあるとは思うのですが。

最初から割とアットホームではあったんですけど、社員さんへの接し方も、年々気をつけるようになってきたのかなっていうのは見てて思いますね。あんまりきつく言わないように、とか。

若者の成長ドラマが楽しいスポーツ観戦

――今後、衣里さんご自身として、何かやってみたいことはありますか?

衣里:本当にのほほんとしてるので、多分このまま流されるまま行く気がしますけど(笑)。プライベートではまず子供たちの自立を見届けること。仕事面では、子供が手を離れたら時間ができるので、昔少しかじったプログラミングの勉強を、会社のことを考えても、ちゃんとした方がいいかなとは思ってます。ゼロからのスタートですけど。
あとは、子供が習っているチアダンスの手伝いをずっと続けています。友達が先生をしていて、写真やビデオを撮ったりDVDを作ったり。子供たちの成長を見るのが楽しくて癒されます。

――それは今後も続けていきたい活動なんですね。他にプライベートな趣味は?

本当に何もない人間なんですけど、スポーツ観戦は好きですね。オリンピックとか世界陸上とか、高校野球とか。友達と、たまに円山球場に高校野球の予選を見に行ったりとか。ドラマがありますよね。対戦が終わった後に、お互いに挨拶したりとか。たまたま今も友達の子が甲子園に出てたりとかするので、すっごい見てました。観ていて熱が入ります!
あとは、これからちょっとギターやりたいなと思ってはいるんですけど。なんか、弾き語りみたいなのをしたいなと。

――合唱部、カラオケ、そして弾き語り。歌うことへの潜在的な思いがあるのかもしれませんね。

衣里:そうかもしれないです(笑)。

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「流されるままに」ご縁を紡ぎ、創業時からテックワークスを見守ってきた衣里さん。経理・事務として会社を支え、子育てをこなし、チアダンスのサポートにも力を注ぐ。その柔らかな人柄と前向きな姿勢は、テックワークスが持つアットホームな雰囲気の発生源とも言えるかもしれません。